尾道 17:03
昨夜は夜8時過ぎは東京都知事選での現職当確が出た。
推しである候補者の得票は3位で、選挙期間中の情勢を見れば宜なるかなというところだが、がっかりしなかったといえば嘘になる。
僕は広島県民だから都知事が誰になってもマツダスタジアムがドームになったりするわけではないので別にいいのだけど、本来市民側に立つリベラルな候補者が政治に関心のない大多数の市民に支持されなかったというのは興味深い結果であった。
ニュースなどでは「2位じゃダメなんですか」という彼女の過去のセリフを持ち出してさっそく揶揄的に報じていたが、2位か3位かというのは重要ではない。
候補者はとくに不正を働いたわけではないのだから、小馬鹿にしたようなメディアの報じ方はすなわち弱い者叩きでミソジニー(女性蔑視)である。
このようなメディアの姿勢は許容するべきではない。
たとえば、共産党支持の老人たちが駅前でマイクを持って政治の不正について批判しているのを、人々が冷ややかに見て通り過ぎる光景を見かけたことがあるでしょう。
間違ったことを訴えてるるわけではないのに、権力者を批判する市民は同じ市民に嫌われてしまう。
なぜか。それは彼らを邪魔者のように扱うメディアによる報道姿勢にある。
立場が違う市民を公平に扱うべきであるのに、テレビでも新聞でも政府目線で報じるのだから、市民は自然とそれになびく。
かつて民主党政権だったときに、当の政府はずいぶんとメディアバッシングを受けたものだが、自民党が政権に戻って安倍さんが首相になると批判的なテレビコメンテーターなどがどんどん姿を消していったのはご存知の通り。
メディアの姿勢は自民党政府の意向と重なる。それがこの都知事選でも随所に現れていた。
政府に反対する人たちも、賛成する人たちも同じ市民で納税者。ならば公平に扱うべきではないか。
マイクで自民党を批判する候補者をメディアが敵にしてしまうのはなぜだろう。
政府にしてみれば市民が分断されてるほうが権力者による統治はうまくいく。
反対したらこうなるという見せしめをすることで、それがこの国の民主主義というものらしい。
昼ごはん。 にゅうめん
尾道 17:07 黒猫の営業所に荷物を出しに行くと、フランス人の三人組がスタッフさんにあーでもないこーでもないと説明していて、最後はOKサンキューと言って出て行った。スマホがあれば翻訳アプリあるし、ひらがな漢字もカメラで読み取って翻訳できるし、便利な時代である。