山陽本線新倉敷駅 18:07

 
 

 
日常は当たり前の顔をしてそこにいて、不意に前触れなくいなくなる。
 
そんなことを感じたのだろう。彼女が「とある日」の撮影を依頼する踏ん切りがついたのは、この2、3年うちにあった両親の入院や、自身の健康診断で「要精密検査」となったのをきっかけに、家族の日常ががらりと変わるのを見てしまったからであった。 
 
さいわいにして今は家族みな元気である。写真を撮らねばならない。 
 
 
 
彼女の住む生家はなかなかユニークな家であった。
 
元は飴を作る菓子屋だったそうだが、とうに廃業して広い土間をリフォームしてリビングルームにしている。
 
したがって、一家がテレビを見ながらくつろぐ部屋と台所は土足なのである。
 
慣れてしまえばそれが当たり前になるのだろう。ただし冬は相当冷えるらしい。
 
2階の居室も彼女自身がDIYでリフォームしており、白い漆喰塗りの壁に、明かり取りの窓枠はフランスから輸入されたアンティークだったりして、非常に凝っている。というか、この家このままフォトスタジオにできるじゃないか。



午前中は家から離れた山里の畑に行き、栗を取ったり小松菜の種を撒いたり草刈りして過ごす。
 
帰って昼食を食べたら、高校一年生の女の子はあまり身の入らないテスト勉強をし、大人たちは昼寝したり本を読んだりする日曜日。
 
合間にお菓子(スコーン)を作り、夕方になれば夜ごはんのしたくを始める。

「(撮影は)退屈でしょう」と彼女が僕に聞く。退屈です、と正直に答える。
 
なんとも平凡で退屈な休日だから、撮るのも「映える」要素がまるでない写真ばかり。
 
だがそれが、かけがえのない日常なのだ。幸せは退屈の陰に隠れてまるで見えないけれど。