三原由宇出張写真室

2018年11月30日金曜日

小田急電鉄小田原線向ヶ丘遊園駅 15:54

 
 
 
 
 
空気は冷たいが陽射しは柔らかく暖かい。
 
公園には遠足の小学生たちが来ていて賑やかだ。小学生男子の生態を見るにつけ、ほんとにアホなことばかりしゃべったりやったりしていて、ほんとアホだなあと思う。かつては(今も?)自分もそうだったのだろうけど。
  
 

毎年恒例の家族写真の撮影にやってきた10歳の女の子はパパと無邪気に遊ぶ。愛らしい。
 
カメラを向ければ当然意識して表情を作るけれど、10年も撮っていると彼女も僕を覚えて不自然に構えたりすることがない。
 
パパが「ハタチになるまで撮るからな」と言うと、えーやだ!と返す彼女はこの先どんなふうに大人になっててゆくのだろう。中学生、高校生になってもカメラに向かって自然に笑ってくれるだろうか。僕のほうがドキドキする。
  
 
 
撮影終えて向ヶ丘遊園から千代田線経由で北千住まで行き、駅の地下にあるスーパーで夕食の買物をする。
お弁当や惣菜をカゴに入れてレジに運ぶと、レジ係の女性は手早くバーコードをスキャンして金額を告げ、満面の笑みをたたえて「ありがとうございました!またお越しくださいませ!」と言う。
  
笑顔であることはいいことだけど、彼女は仕事が楽しくて笑っているのだろうかと思いながらビニール袋に買ったものを入れてゆく。
 
もしかすると彼女のその笑みは、客に向けられたものではなく、クレームなどから自分を守るためのものではなかろうか。大人は笑顔を使い分けることができるから。
 
 







小田急電鉄小田原線代々木八幡駅 12:01









  
  
秋晴れの空である。
お宮参りにやってきた三ヶ月の赤ちゃんは終始ご機嫌で愛想を振りまく。
  
二歳のお兄ちゃんは砂利を拾っては投げるのに夢中。自分の興味が向くことしかしない。パパとママの言うことは3%しか聞いていない。集合写真は彼の注意を引くことに注力する。
     
ふだん二人の子の面倒をみるママは、赤ちゃんが新生児だった頃の記憶がないと言う。育児に「忙殺」されているのだなあと思う。このまま気がついたら赤ちゃんを卒業していそうだ。赤ちゃんのいる日常を「とある日」で撮ってあげたい。
 
どんなにたいへんな毎日でも、それはその人の人生の一部である。パズルのピースを埋めるように日々を写真で残しておくと、あとで過去を振り返ったときに満足度が上がるのではなかろうか。
 
 
代々木八幡駅の前にはチェーン店の「富士そば」があり、その向かいに隠れるようにして「八幡そば」という立ち食い蕎麦屋がある。
 
大きなカメラバッグを提げて入るのがためらわれるような狭い店に入り、天ぷらを揚げる油が染み付いたような短いカウンターに向かう。
 
北海道幌加内産のそば粉を使っているという麺はたしかな食感がある。大振りのかき揚げもおいしかったが、さいきんはこれでだけもお腹が重たく感じられる。お昼ごはんはかけそばで十分な気がしてきた。
   
代々木八幡駅は駅舎新築工事がだいぶ進んだ。僕にとっては、下りホーム改札口前の降りにくい湾曲した階段も今日が見納めかもしれない。
 









山手線新宿駅 9:10


 
 

朝のラッシュに巻き込まれながら撮影に向かう。
これを毎日やっているサラリーマンの方々はまことにご苦労さまである。しかし、かつては僕もこうして会社に通っていたのだった。なんだかもう夢の中のできごとみたいだ。
 
ホームの片隅にできるエアポケットのような空間でちょっと休憩。
 

2018年11月29日木曜日

京成電鉄京成本線志津〜勝田台 15:08

 
 
 
 
  
成田から京成でホテルに帰ろうとしたら、谷津駅で人身事故のため乗った上野行き特急が八千代台で打ち切り。
  
それでも運転再開していたおかげで、後続の電車で関屋までたどり着いた。そこから隅田川を渡ると南千住の汐入地区である。3kmほど歩けばホテルに着く。
 
日が沈んで空の青みが増してくる。気がついたものをコレクションするように写真にしながら歩く。
 
今は映画も見ないし、本も読まなくなって久しい。音楽も聴かない。写真を撮ることしかしていない。
 
なんだか面白みのない人生のようであるけど、僕は満足している。

 






茨城県鹿嶋市宮下 12:26







 
 
  
 
 
鹿島神宮の森は清浄な空気で満ちている。
雲間から時おり射し込む日光が、深い木立を浮かび上がらせる。
  
三歳の女の子は自分が長女だという自覚がすでにあるのだろうか。
 
わがままを言うこともなく、慣れない草履で長い参道を歩く。一緒に遊ぶとためらいがちな笑顔を見せる。そんな性格の彼女に共感するのは、僕が長男だったからだろうか。
  
親の顔色を見ながら行動する癖はなかなか抜けないものである。それがゴーイングマイウェイ的な自由奔放さを求める自分の性格と合わなかったのは残念なことだけど、さすがにそれはもうどうでもいい。
 
ママでさえスマホで写真を撮りながら「この子笑わないのよね」と言っていたから、今日の撮影はおそらくうまくいったほうだろう。
 
もし、叶うとするなら七歳になった彼女に会ってみたいものである。
 
  
撮影終えていただいたコーヒーの暖かさが心地よい。
今回は僕のインスタを見て七五三撮影の依頼をいただいたらしい。ありがとうございます。
 
 






鹿島線十二橋〜潮来 9:27

 
 
 
  
 
東京から2時間くらいで来れてしまうからなのか、景色のよいローカル線を挙げるときにその名が出ない鹿島線。
 
霞ヶ浦の湖面の上をゆく電車からの眺めはほかではあまり見られないものである。とくに田植え前の水を張った田んぼが一面に広がって、青空を映す光景は絶景だと思う。
 
終点に着いても名所が鹿島神宮くらいしかないから、観光客は佐原だけ見て帰ってしまう。もったいないことである。
 
 
その佐原から乗った鹿島線の電車はわずかな乗客を運ぶ。終点に着くと、みなそそくさと駅を出ていき、待合室は空虚さで満たされる。
 
駅前では地元の商店主らが、クリスマスのイルミネーションの飾り付けに忙しい。
 
だが正月とサッカーの試合がある日以外は訪れる人も少ない駅である。華やかな電飾がかえって寒々しいことになるのではなかろうか。
   
駅からゆるやかな坂を上れば、鹿島神宮への参道に出る。道の両側に連なる土産物屋や観光客相手の飲食店は、朝10時を過ぎたが閉まったままで、足音さえも吸い込まれてしまいそうな静けさ。
 
 



2018年11月28日水曜日

東京地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅 11:50



 
 

 
よく晴れた初冬の東京は暖かい。
早めの昼食を食べようと外に出てきたサラリーマンたちもこころなしか穏やかな表情をしているように思える。
 
自分のお昼ごはんはどこにしようかと考えて、目についた「なか卯」に入る。手頃なラーメン屋かそば屋が見当たらないときに、不思議とそこに存在しているするチェーンのうどん屋である。消去法のような選び方だけど、なか卯のはいからうどんはおいしいです。
 
 
 
二ヶ月の赤ちゃんはやや眠かったのか、あまり笑ってくれなかったけれど、ママ手作りの服を着てかわいかった。ぐずってきたときにあやすつもりで抱っこすると、まあ癒される。
 
生まれたばかりの赤ちゃんの重さというのはなんだか絶妙で、自分が預かることができる最小限の命という感じがする。
 
これがだんだん重たくなって抱っこするのも疲れてくるわけだけども、腕の中におさまる小さな体の重みは本能に呼びかけるものがある。
 
たまに結婚式の最後に、新郎新婦が生まれた時の重さを再現した米袋を両親に渡すことがあるが、親は体のどこかでその重みを覚えているのではなかろうか。
  
久しぶりに会ったお姉ちゃんが終始緊張していて、あまりごキゲンな家族写真にはならなかったけれど、それはそれで今年の思い出として、ぜひプリントして飾ってもらいたいなあと思う。写真を見れば、彼女も今日のことを覚えてくれるはずだから。