東海道本線草津駅 15:07
今年の秋は晴れの日が続いてくれて助かっている。
穏やかな秋空の下で、三歳になったばかりの男の子は晴れ着を着て、石畳を草履で歩くのもおぼつかない。
はじめは不安げな表情も、遊んでいるうちに少しずつ柔らかくなり笑い出す。
二歳三歳の子どもはほんまにかわいい。もっと大きくなってくるとやんちゃ度が増してくる。
純粋無垢という言葉は彼らのものだ。
パパとママは撮影を用意周到に準備したようで、七五三のあとは公園に移動して誕生日プレゼントのストライダーも出してくる。
男の子は華やかな着物から落ち着いた色あいのシャツに着替えている。秋の色に変わり始めた公園の木々によく似合う。
AIが発達してくると、子どもの写真を読み込ませて、フォトグラファーなしで理想的な写真を作れるようになるのかもしれないなあと思う。
多少の補正だって簡単にできるだろう。
それはもう写真ではない気もするけれど、それが当たり前に見たり見せたりする写真になるのかもしれない。昔々の肖像画だって実物よりかなり「盛られて」描かれただろうし。
フォトグラファーが写真を撮るのは時間の記録である。
子どもと一緒に過ごせる時間は案外に短いものだ。気がつけば子どもは親の手を離れて、ストライダーから自転車を乗り回すようになる。
もし僕が撮る写真に価値があるとすれば、そこには時間が写っているからだと思いたい。