北九州市交通局90折尾駅鶴松団地線花野路三丁目 12:38

  
 
 
 
  
傘をさしてお宅まで伺ったが、撮影中に雨が上がって庭でも写真が撮れたのはよかった。
 
実際に住んでいる家ではなく、ママの実家であるそうだ。せっかく僕を呼ぶなら、自宅で撮ればよかったのにと言うと、家の中が片付いていないから見せたくないと彼女は言う。
 
散らかった部屋も大事な思い出のひとつだから、写真に撮っておく意味があると力説するが、あまり納得してもらえてないような。僕の仕事は家族の写真を撮ることであって、家の中がきれいかどうかはどうでもいいことです。
  
たとえば、家の中に干している子どもの洗濯物だって、1年後にはその大きさが変わっているのである。
何度も書いているけど、写真は今しか撮れない。後から「その時」は撮れない。 
    
だから、ありのままの日常の生活を写した写真には、とても大切な意味があると思うのだけど、それに価値を見出さない人はまだ多い。「とある日」の撮影をしているのは、その意識を変えたいからでもある。
 
日本人の自己肯定感は他国の人と比べて低いという。
♪ありの〜ままの〜姿見せるのよ〜という歌が流行ったのはその裏返しなのか。
 
とある日
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